皆、懸命に生きる菩薩かな。我は幸魂奇魂。愛と智。


なぜみんな人生を懸命に汗かきながら、悔やみ悩みながら、苦しみの中でもがき、


幸になれると信じられなくとも、


幸せになろうと共に声かけ合いながら、


生きているにもかかわらず、


どうして、どうして、なぜ、なぜ、


なぜに、こんなことが起こってしまうのか、


なぜに、こんな仕打ちを受けなければならぬのか、


ということが起こるのだな、、



皆、地獄の淵を歩く菩薩の姿のようだな



自分の力ではどうにもならぬ世界に出くわしいよいよ、自力の計らいを捨て、仏の道へと入るのだな



仏の道とは御心の道



どうにもできぬ我が身を捨て去り、


ただひたすらに、目の前に広がるありのままの世を見渡しひしひしとこの身で感じて、


ただひたすらに、目の前に広がる世を変えようともせず、


ただひたすらに、そこに立ち尽くし、


波風たてぬよう、


呼吸を荒げぬよう、


目を閉じて祈りの言葉を吹きかけよう


祈りの音を響かせよう


どうか鎮まりたまえ


魂の叫びよ、鎮まりたまえ


幸魂

奇魂

守給

幸給


御魂の働きを発動させて

魂の鳴き声を鎮める子守唄のような音霊



わたしがわたしと自覚している自分などはおらぬ。


ただ、わたしという「本来の魂」を映す鏡についた穢れを祓うのだ。


「本来の魂」の穢れは、魂の光の働きを発動させるスイッチボタンを押すのだ。


それが、サキミタマ!クシミタマ!でピカーンっ!!と光が闇に照射されて泥の中から光輝いて出づるのだ。