農家の嫁とその家族


従来の農家は


土地と遺産を引き継ぐために、長男の元に嫁を貰うという、ある種の人身売買的な結婚契約のやりとりと男尊女卑的思考があったのだ。


妻は嫁いだとはいえ、姑と旦那の家柄と妻の家柄とは別扱い


よそ者の嫁としてむか入れられたりする。


妻は家政婦的な介護役であり、母親ではなかった。


そんな子供として生まれたので、両親が家柄で争い、意見を申すのはご法度で、心の声を押し殺し、我慢が美徳であり、家訓があり、父親には土下座を強要する母親に、好きなことをしようとすると監禁に外出禁止。



まぁ、この流れでいくと、


「こんな自分を自由に表現できない場所にはうんざりだ!!嫌だ!!何で意見すら言えない!!押し付けるのだ!!」と、


娘は親を恨み家出でもするか、反抗して家を追い出されるかである。



反骨精神で家を出て仕事について難なく飯食っていけた娘はあることに気づいた。



恨み怒っていたと思っていた父親についてだが、実は父親に対して怒ってはいなかった。



父親の敵討ちをしようとしてたのだ、、、」と気づいたのだ。


自分の心を押し殺す父親の姿があまりに悲しかったのだ。


父親をあんな風にして、家族をあんなふうに追い込むまでにしてしまった、自分にはどうすることもできぬ神へのこの世界への怒りだったのだ。


父親の大変さ辛さ、背負ってきたものの大きさは誰よりもよく知っていたのだ。一番近くで見てきたのは他でもない娘だったのだ。


苦しさの極みであった。


本当は、父親と共に時代を駆け抜けたかった。


誰よりも父親の自由な心を知っていたが故に、それを押し殺す父親の姿が痛ましかったのだ。


痛くて痛くて、やめろ!わたしの心を殺すなと叫んでいたのだ。



わたしの心とはすなわち、父親自身の心なのである。



父親に一番伝えたかった言葉だった。



自分の心をこれ以上殺さないでくれと。



父親の心の灯火が消えるのを何とか食い止めたかった。



父親の代わりに走り抜きたかった。



そんな嘆きの悲しみであった。



それに気づくまでは、


男性を敵視するしかなく、女性の身分は低く結婚=人身売買と男尊女卑の契約となっていた 


気づいた後は、それすらも強烈な経験からの人間の思い込みであったことに気づく。



神への怒りを解放した後に、男性を解放でき、その男性から抑圧される構図を描いていた女性を解放することができるのだ。



わたしの心を殺す敵は父親ではなく、わたしの心を殺すな!と跳ね除けられなかった女性のわたし自身であった。



心殺しを受け入れたわたしであった。



受け入れる、譲歩する、許容量があることすら知らなかった受け身にしかなれなかった子供には、それだけの時間が必要であった。