愛を叫ぶ!


とにかく愛を叫びたくて仕方ないこの一年は。



叫ぶというより発狂に近いですがね。





あい


アイ




ai



そして、不純物をひたすら取り除く作業が続いてます。



苦痛の環境下になれ過ぎて、いいのか悪いのかわかりませんが、とにかく取り除く作業を進めるのみ。



泥酔すすりながら匍匐前進です。



かなりデータ検証は続いております。



今日の活動からテーマは



「地獄」

...これは六道に当たる

カフェで隣席した人が口にしてくれていた



「死にゆく命」

....お坊さんの言葉でいうと全てが死で終わるのではなく、死んだ後もお釈迦さんがあなたの命を浄土に生まれさせるのだから、安心して生きよ。、、我を求めよ、必ず助ける。


「人殺し」

...人は心の内で人を殺す生き物だ

人を殺した人を見て、人を殺したのは、「ああわたしか」と気づきました。

わたしは人を殺したのです。ただ、それを行動に移すことは止めろ!というのです。


それは、わたしたちが動物であるが故の心の働きなのだから。


命の危機を感じれば、死への恐怖、見捨てられる恐怖、の防衛本能からその怒りが爆発して相手を殺そうとまでするのです。一つの反応であり、心の叫びです。


行動を殺してしまえば、その連鎖反応ば波及するのです。わたしのいる場所は危険なのです。それを周りのものは、いい悪いの判断ではなく、親心を持って、その場所は危ないからこっちへこい!と命がけで注意して引っ張り上げてくれているのです。


人間誰しもが、生きていれば陥るかもしれぬそういう場所が道に存在するわけです。


だって、


人は命を失う、


大切な人と生き別れる、


元気な身体を失い病気になる


事故にあう


災害にあう


戦争にあう、、


自分だけの力ではどうしようもないことが起こる痛みの伴う世界だから。


時間をかけて名残惜しいで美しく身を引ける関係性ばかりではない。突然にやってきたり、残酷な形であったり。愛着もわく。


我の心の叫びが止まぬとき、誰が注意を喚起してくれるのか?誰がその痛みを癒してくれるのか。人類の親となる親心のある者がやはり必要なのだ。


死にゆく者、失われる者、その存在である。

弥陀の働きがようやく腑に落ちるのだ。


「我を求めよ、必ず助ける。」


地球の子である人類と親の関係性なのだ。


「我は創造されし子、罪はゆるされた。」


目の前の者は我が子にみえる。

必ず救うと言葉が溢れてくる。



、、あれま、長くなってきた、、


そして、この「人殺し」でわたしは全身がショートを起こすのである。


この見捨てられる恐怖からの、父親との関係性で引き起こる不倫関係、母親との関係で引き起こる浮気性の仕組みが浮き彫りになってきた。


父親を拒絶できなかった経験から、信頼の関係性を保つことと、嫌なことを嫌と拒絶しないことがイコールになってしまい、男女の関係性において気を引くエネルギーが切れないのだ。


それではまるで父親と愛人関係のようなのだ。父と子の関係ではなく、父と女性との関係になる。近づくな!キモい!と言っても関係が続くのが父と子の健全な関係になるが、もし子でなかったら、それを口にすればまず幼馴染とかでない限り人間関係は切れる。


それを口にしないのは、互いに男女関係を結ぶポテンシャルは保持していることになる。


むー、、、


適切に拒否する力、叱る力、馬鹿やろ!と怒る力は、大人になってしまった者を懐に抱きしめる力なのだ。


一員として受け入れた仲間にしかできぬ行為である。


馬鹿!!頑張れ!!走れ!!


メロスーーー!!!!涙 笑